30代女性が過労でうつ病になってから復職するまでの記録

30歳の時に過労からうつ病を発症した女が、休職・治療・復職の体験の記録を残します。うつ病で苦しんでいる働く女性の助けになれば幸いです。

自分が幸せかどうかは、自分だけが知っていればいいこと

「自分が幸せかどうかは、自分だけが知っていればいいこと」

 

この言葉がとても好きです。これは、村山由佳さんの小説「すべての雲は銀の… Silver Lining」に出てくる、シングルマザーの女性「瞳子」の言葉。他にも、

 

「自分を不幸にするのも、幸せにするのも結局は自分自身」

 

という名言を残しています。ガサツで奔放で主人公が手を焼くキャラですが、自分は結構好きです、この瞳子さん。どういう経験の後に、このセリフがあったかは小説を読んでもらえればと思うのですが、この言葉は、今ではいろんな状況で自分を救ってくれる大切な言葉になっています。

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もしかして、私がうつ病を経験して得た大きなものの一つは、この言葉を自分のものにできたということかもしれません。

 

 

うつ病になる以前は、人からの評価を過剰なまでに気にして、周囲の人全てにどう思われるかに神経をすり減らして生きていました。周囲の人に起こる幸せな出来事は、そのまま自分の不幸せになっている気がして、ドロドロした僻みや妬みを隠してなんとかやり過ごして生きていました。

 

うつ病になって、一度自分の理想のレールからは外れた後は、開き直って人生を肯定できつつあります。いろんなことが「ま、いっか」「そんなこともあるさ」と思えるようになりました。以前の苦しさは、自分が勝手に自分のハードルを上げて苦しんでいただけなんだなというのにも気づきました。健康で仕事があって、家族がある人でも不幸に感じることはたくさんあるし、その逆も然り。

 

所詮、人の幸せなんて、自分がどう感じるかで決まるのだから、人と比べること、そしてそれで自分自身を苦しめることには何の意味もないんだなと。

 

うつ病から復職すると、周囲の働き方が、以前の自分と被って見えます。あの頃の自分にとっては、がむしゃらに働いて仕事で認められることこそ自分の価値で、健康なんてどうでもいいと、本気で思っていた。それもまた一つの考えとしていいじゃないか。でも、今の自分は、そうじゃない。けど、それは、周囲の人に説教して改心させるべきことではないと思っています。あの頃の自分が、どれだけ周囲に「少し休んだほうが」と言われても耳を貸さなかったように、根本的な価値観が変わらないと、自分の意識は変わらない。どっちが正しいでも間違っているでもなく、「今の自分はこう思う」それを自分だけが分かっていればいいこと。

 

最近、ちょっと自分だけが価値観が変わってしまったことで疎外感を感じていたので、改めて思い出してみました。自分は自分、人は人。何も恥じ入ることはないし、人を変えようとする必要もない。

 

すべての雲は銀の… Silver Lining〈上〉(講談社文庫)

すべての雲は銀の… Silver Lining〈上〉(講談社文庫)